何となく、落ち着かない。
さっきから微かに妙な気配がしている。
正体が知れないが、祭りのにぎやかさに惹かれて何かが出てきちまったんだろうか。
それとも俺が神経質になっているだけなのか。

妹の付き添いで渋々来たが、ここは歌帆の実家の月峰神社。うろうろしていれば彼女に遭うのは必至だろう。
歌帆との間に起こった出来事は、苦いような、懐かしいような。
ゆきには、かなりつっこんだところまで話した。ほんわかふわふわしたゆきがいったいどこまで理解したのかはわからない。なぜ俺がそれを話すのかも、ゆきがわかってくれるとは思っていない。ただ、それは俺にとって、歌帆との過去に区切りをつけるために必要なことだったのだと思う。

「話してくれてありがと。」

ゆきはそう言って微笑った。
何のためらいもなく、あっさりと。
それはゆきが俺と歌帆の過去、そして今の想いに何の関心も持っていないことでもあり、ほっとする一方で幽かな失望もあった。

当のゆきは俺の気も知らず、さくらに赤い水風船をつってやっている。
・・・どっちが「やさしいお兄ちゃん」なんだか。
あいつが俺をからかった口調を思い出して、苦笑いする。

射的の屋台の前をウロウロしていたあのクソガキにも、ゆきはやさしく微笑みかける。
さっきはさくらの顔を見て赤面したくせに、こんどはゆきの顔を見て真っ赤になっている。ましてや俺への敵意なんてあっさり忘れているようで、そいつは賞品の山をかき分けはじめた。
・・・・なに考えてんだ、こいつ。
ガキがゆきに差し出したのは「POKO SABLE COCOA」と書かれた小さな菓子の箱。
ゆきへのプレゼントに相応しいのは確かだが。

そんなガキとなんで輪投げ競争になっちまったのか、自分でもよくわからない。
いつのまにか周りは見物の人だかりで、もう後に引けなくなっていた。
・・・・さくらとゆきがいない。
二人の姿は見えず、その代わりに知世嬢の嫣然とした微笑みに気づく。

―――やられたな。

外見はどことなく母さんに似た面影を持つ知世嬢は、性格は母親の園美さんの血を色濃く受け継いでいるようで、案外の策略家であるらしい。思い起こせばこいつと出くわしてからの彼女の言動は、ことごとくさくらとゆきを俺たちから引き離す為の布石だったのだろう。くそガキはそんなことは気づきもせず、あっさりと知世嬢の策略にはまり、ただ目の前の俺に闘志を燃やしている。

―――しょうがない、つき合ってやるか。

ゆきと一緒にいるなら、さくらが危ない目に遭うことはないだろう。

こいつはいったい何に闘志を燃やしているのだろう。
あっさりと勝負がつくと踏んでいたのに、呆れるほど俺に食い下がる。
それとは知らぬま間に、俺のゆきへの想いを感じているのか。
ふと、明るい光景が視えた。

---

一瞬の俺の隙をついて、あいつが一歩リードした。
俺もすぐに追いつく。
目の端に店主の迷惑そうな横顔が映った。
あたりは人垣までできてしまったが、だが誰もが俺たちの競争を見守るばかりでは、商売はあがったりだろう。あきらめたようにため息を一つつき、特賞のうさぎのぬいぐるみを二つ取り、俺たちに放ってよこした。

「兄さんたち、そんなところにしておいてくれ。」

勝負のつかない中途半端なまま賞品を手にしたあいつは、納得のいかない顔でぬいぐるみを凝視している。

「誰にやるつもりなんだ、それ。」

問いかけを新たな挑戦と取ったのか、あいつはいきなり走り出した。
俺もまた、その後を追う。

あの一瞬に見えたさくらは、俺のZEPHYRを飛び降り、こいつに向かって走っていた。
そういうことなのか。
こいつがそうなのか。
訳の分からない焦燥に駆られ、俺は走る。
さすがに体格の差は大きい。いつのまにか追い抜き、あいつは遥か後方だ。

---

ぬいぐるみを掴み、境内を走りぬけながら考える。
うさぎ、うさぎ、やわらかな白いうさぎ。
俺はこれを誰に渡したいんだろう。
「すき」と笑うだろう小さな妹にか、それとも・・・・

「きれいだね。」

覚えのある服が枝越しに見え、とびだそうとした俺は、ゆきの声に思わず動きを止めた。
衝撃をおさえながら、その横顔に魅入る。
そこにいるのは、いつものお気楽な微笑みを浮かべたゆきではない。

ただ、ふんわりぼーっと笑っているゆき。
さくらと二人にしておいても決して危険のないゆき。
俺のそんな認識が跡形もなく崩されていく。
それがゆきの持つ真の姿なのか、ゆきの中に眠るものがこの場、月峰神社に在る幽かな力に反応している所為なのか。
けれどそんなことよりも、俺は別の想いに囚われていた。

なぜ、さくらなのか。
なぜ、俺の小さな妹でなければならないのか。
・・・・なぜ、俺ではないのか。

焼けつくような想いが俺の胸を抉った。

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どれほどそこで立ちつくしていたのだろう。遥か彼方に引き離してきたはずのあいつが間近に迫ってきているのに気づき、俺はあわててぬいぐるみをつかみなおした。

「とった！」

いきなり俺たちがぬいぐるみをふりかざしながら飛び出してきて、ゆきもさくらもぽかんとしている。
遅れて到着した知世嬢が状況説明をしているうちに、あいつはゆきにぬいぐるみを手渡していた。必然的に、俺のぬいぐるみはさくら行きだ。せめてもの憎まれ口をたたく。

「いらんならかえせ」
「いる！」

返してもらったってどうしようもない。そんなことは誰にだってわかりきったことだ。ゆきも微笑って俺たちを見ていた。

お礼にかき氷を、と誘うゆきの傍らで、あいつは赤面している。
さっきのあの光景が本当なのなら、こいつがゆきを選んだのは、ゆきの持つ力の所為のためだけなのだろうか。もしかすると、ゆきという、この世にとって異質な存在が、場をゆがめてしまうからではないのか。
そうだとすれば、俺は・・・・

「こんばんは」

駆けだしたさくらを追おうとする俺の前に、よりにもよって歌帆が姿を現した。なにか遺恨でもあるのか、あいつはさっと姿をくらます。すぐに歌帆に馴染んで何かを尋ねていたゆきも「さきいってるね」と声をかけて立ち去り、俺は気まずい想いのまま、歌帆と二人取り残されていた。
・・・ゆきのヤツ、変な気を使ってるな。

歌帆はあの頃とちっとも変わっていない。
くすくす笑いながら俺の問いをはぐらかす。

「なんで戻ってきたんだ？」
「これから起こることでちょっと、ね。」

すべてを知って歌帆はここにいるのか。
もしかすると、ゆきのことも。
俺にはわからない。
ゆきが人間でないことも、これから先、ゆきがゆきでなくなることも、そのことが何を引き起こすのかもわかっているのに、俺はゆきをどうすべきなのかがわからない。

「あのさ、かほ。」
「んー？」
「・・・いや、やっぱ、いい。」

歌帆が微笑んだ。
あの時と同じように。

「とーやに見える先のことは、すべて本当よ。
　でも、とーやの未来はとーやが選ぶの。」

ああ、わかっている。
だけど俺はどんな未来を選ぶんだろう。
ゆきのいる未来。
ゆきが俺のそばでぼーっと笑っててくれる未来。
それは可能なことなのだろうか。

偶然なんかじゃない、そう信じよう。
俺とゆきが出逢ったのは、お互いが必要だから。
そういう未来を俺は選ぼう。

ふと、サブレの小箱をゆきに渡すあいつの姿が浮かんだ。

「とっとと気づけ。寄り道ばっかすんなよ。」

歌帆がまた、くすりと笑った。

「S A B L E」了