森のバレンタイン
　　　

今年のバレンタインは、冬ごもりのお家からお送りします。
前後のお話は、季節の催し事「森の中の小さな家」から、どうぞ♪





家に入ってくるなり、桃矢がおっ、という顔をした。
エプロンをつけて厨房に立つ雪兎が、振り返ってにこりと笑う。家中にチョコレートの甘い香りが漂っていた。

　「お疲れ様、とーや。怪我しなかった？」
　「あちこち、引っかき傷は作っちまったけどな。
　　これで、何とか間に合いそうだぞ」

椅子の間のラグマットに座って遊ぶ赤ん坊の頭をちょっと撫でて、桃矢はレストルームに飛び込んだ。シャワーの音がしばらく聞えて、すぐに洗いたてのＴシャツに着替えて出てくると、真っ直ぐに雪兎の傍に戻って、手元を覗き込む。

　「もう仕上がるから、我慢して。
　　それより、大変だったでしょう」

味見をしようと手を伸ばすのをピシャリとやっておいて、雪兎は鍋から目を離さずに聞いた。赤ん坊がこの家に来てからというもの、室内の温度を高く保つのにかなり薪を多く使っている。用意した薪が底をつきそうになって、桃矢は今朝早く裏の林に入った。風が抜ける斜面に、あらかじめ切り出した丸太を乾かしてあるのだ。赤ん坊を連れていては、足手まといになるのが目に見えていたし、桃矢はためらう雪兎を赤ん坊との散歩に送り出して、一日がかりの力仕事を済ませてきたところだった。

　「天気がよかったからな。楽なもんさ。
　　ゆきの方はどうだった？」
　「それがねえ…」

クスリと笑って、雪兎は赤ん坊を振り向く。自分のことに話題が移ったと、敏感に感じて赤ん坊は雪兎に向かって甘えた声をあげた。その声に、桃矢もギョッとして振り向く。

　「おい、今の…」

赤ん坊は得意そうな表情で、顔中を口にしてもう一度雪兎を呼んだ。

　「ゆうぅー…い」

まだ、舌足らずだったけれど、明らかに雪兎の名前をなぞっている。ぽかんとした桃矢の表情に、雪兎が笑い出した。

　「橇で遊んでいたらね、
　　いつのまにか林からウサギやリスがたくさん集まってきて」

こわごわ近寄ってくるウサギたちを相手に、夢中になって遊んでいた時だったという。

　「逃げちゃうといけないから、ぼくは少し離れてたんだよね。
　　よっぽど、ぼくにウサギを見せたかったのかなあ。
　　こっちに来いって…、しまいに怒り出すんだよ。」
　「取り巻きを引き連れて、まるきり女王さまだな」

パタパタと手を動かす赤ん坊をひょいと抱き上げて、顔と同じ高さにもってくる。期待に目をキラキラさせているのを、思い切り高く差し上げてやると、甲高い笑い声が響いた。興奮にぱっと手のひらを開いた途端、桃矢の頭の上に何かがコンと落ちて来る。

　「なんだ、こいつ。こんなもの、どっから拾ってきたんだ？」
　「なにが？」

熱いマグカップを持って、雪兎が近づいてきた。赤ん坊を膝において椅子に座った桃矢は、床から拾い上げた小さなどんぐりを指先につまんで見せた。

　「ほんとだ。変だなあ。どんぐりなんか、どこにも落ちてなかったのに」
　「リスも来たって言ってたろ。
　　そいつらからの貢物だな、こりゃ」
　「すごい。もうプレゼント第１号？」
　「先が思いやられるなあ」

とはいえ、小さなどんぐりは赤ん坊が口に入れると、危なっかしい。桃矢は台所から広口の丈夫なガラス瓶を持ち出して、その中にどんぐりをコロリと入れてしっかりと蓋をした。床の上にそれを置いて、赤ん坊を膝から下ろす。赤ん坊が、意欲満々で新しいおもちゃに飛びかかって行くと、桃矢は雪兎からマグカップを受け取った。カップの中にはふんわりと泡立ったホットチョコレートが並々とついであった。甘い香りに、桃矢がほっと笑う。

　「甘いもん、欲しかったんだ。
　　こういう時は、やっぱ美味いな」

雪兎にしてはめずらしく、溶けそうなくらい濃厚な甘さだった。飲み下すと後味にふわりとラム酒の香りが残る。おや、と思って改めて見ると、雪兎はぽうっとした表情で、向かいのソファに座り込んでいた。慌てる桃矢に、ちょっと手を振って大丈夫だと言う。

　「さっき、仕上げにラム酒を入れてみたんだ。
　　なんか、匂いで酔っちゃったみたいだ」
　「全く、赤ん坊並みだな」

雪兎はアルコールを受けつけない。直接口に入れたりすると、病人のような騒ぎになってしまうほどだ。

　「苦しくないか？」
くたりとした手首を取って脈を確かめると、桃矢はソファの前にかがみ込んだ。
今は、ほんの少し揮発したアルコール分を吸い込んだだけらしく、それほど苦しげではない。ほんのりと桜色に染まった目元を眠たげに瞬かせて、雪兎は恥ずかしそうに頷いた。
ほっと胸をなでおろすと、同時に甘い香りに捕らわれる。
顔を近づけて、桃矢は囁いた。

　「キスしたら、悪酔いするかな」
　「試してみる…？」
　「おまえ、やっぱ酔っ払ってるな」

小さく喉を鳴らして、雪兎は柔らかく腕を巻きつけた。


ガラス瓶で遊んでいた赤ん坊が、大きなあくびをしてコロリとクッションに転がった。ガーゼで作った小さな人形を手に握り、口で遊びながら首を巡らすと、桃矢の背中が目に入る。

　「ゆうぅい」

なんとなく呼んでみると、桃矢が振り返り人差し指を唇に当てて、苦笑いした。その向こうで、雪兎がやんわりと目を閉じている。その表情に安心して、赤ん坊はとろりと目を閉じた。一日中外遊びをして、今日は昼寝をしていなかった。


甘いチョコレートの香りの中で、ウサギのように丸くなって眠る赤ん坊にそっとタオルケットをかけ、桃矢は小さく笑う。

　「いい子だな。
　　ゆきを寝かしつけるほうが、よっぽど手がかかるぞ」
　「なに…？」
　「なんでもねーよ」

もう一度唇を重ねて、雪兎を椅子の背に押し戻すと、桃矢はゆっくりエプロンの結び目を解きはじめた。





SWEET END♪


いやはや、とりあえずバレンタインです♪
バレンタインの「バ」の字も出てきませんが、バレンタインです（笑）
ひたすら甘く。甘ったるく♪ああ、気分爽快♪
狭い家の中、気を利かせる赤ちゃんも大変でございますわ♪



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